SMGO‼︎

初めて買ったCDも、初めて買ったDVDも、初めて行ったコンサートも、初めて他人のために泣いたのも、初めて嬉し泣きをしたのも、初めて悔しくて泣いたのも、私の人生の初めてのほとんどがジャニーズだった。



11歳、小学6年生の時、朝のニュースもNHKを見てるような公務員の両親の間に生まれた私にとって、ジャニーズは初めて感じたワクワクだった。芸能人にもテレビにも興味がなかった11歳。習い事はしてたけど、どれも嫌々だった。辞められないから続けてるだけ。そんな私が初めて夢中になったのがジャニーズだった。


CDが買いたくて毎月必ず買っていた別冊マーガレットを買うのをやめた。やっと買えたのはHey!Say!JUMPの2ndシングル「Dreams come true」でした。発売から11年経った今も、まだ、持ってる。


友達とうまくいかなくて、学生時代って学校が全てだったから、生きてくのが嫌になった。そんな時に私を救ってくれたのはHey!Say!JUMPだった。Hey!Say!JUMPの未来が見たくて、当時の私にとってはつらかったけど必死に生きた。落ち込んだ時はコンサートDVDに収録されてる「Memories」を聴いた。


約12年間ジャニオタを続けてきて、いつのまにか人生の半分を超えて、いつのまにか1番長く続けていることになりました。ジャニーズ以外のアーティストにハマった時期もあるけど、結局戻ってきてしまった。

楽しいことだけじゃなくて、時にジャニーズはとても残酷でした。どう消化していいかわからないことも沢山あった。



Twitterだと長くなるからブログにしようと思ったけど、いざ文章を書き始めるとよくわかんないや(笑)


ただ私は「ご冥福をお祈りします」とかヒロムには似合わないな〜って思うんだよね。ヒロムは、よくわからない世界を私に届けてくれた。学生の頃は大っ嫌いだった爺さんだけど、私も大人になったのかな、そんなに嫌いじゃなくなってた。


だからさ、ヒロムはずるいよね。

絶対悪いことだって沢山してきたと思うし、誰かを悲しませることもしてきたと思うのに、みんなからこんなに愛されて人生の幕を下ろしたんだよ。ずるいよね。


悲しめない人だっていると思う。そりゃそうだ。血のつながりもない、ほぼ会ったこともない爺さんが死んで、逆に悲しめる方がすごい。まるでオタクまで家族になってしまったみたいじゃないか。私だっていざその日が来るまで、きっと悲しめないって思ってた。

でも7月9日、覚悟はしてたのに知った時泣いてしまったし、その後実感がわかないままだったのに、いざ、家族葬の写真見たら、あぁ、もういないんだなって気付いてしまった。


私はジャニーさんに育てられた覚えもないし、父親だとも思いません。だけど最愛の愛犬が死んで仕事休みたかったけどちゃんと仕事に行って、通勤中は泣きながら電車に乗っていたのに出勤した瞬間笑顔を作って周りに悟られないように勤務してた時、自然と「Show must go on」という言葉を思い出してたなって。つらい時もしんどい時も口に出さずに笑おうって思えてたのは、きっと自然とジャニーズの精神がわたしにもうつってたんだなぁと思います。



会ったことも話したこともないヒロムへ。


私はあなたのことがずっと大嫌いだったし、残酷なあなたがずっと憎かったです。もっとみんなが幸せになれる組み合わせがあっても、あなたはわざわざそれをバラバラにしてぐちゃぐちゃにしてグループを作るのが好きでしたね。そしてそのグループに変な名前をつけるのも好きでしたね。私はそんなあなたが大嫌いでした。

大嫌いなはずなのに、私の大好きな人から語られるあなたはめちゃくちゃ優しくて面白くて、ずっと疑問でずっと不思議でした。だってあなたが選んでくれないからデビューしてないのに、そんなあなたをどうして好きでいられるのだろうと。


今、なんとなく思うのは、きっと愛があったからなんでしょうね。「You」というのがあなたの口ぐせだったけど、ほんとはちゃんと覚えてたんでしょ?すごいなって思います。愛がなきゃ、覚えられないよ。


あなたの創る舞台は、わたしにはよくわかりませんでした。映画の少年たちも、意味わからなすぎて他の人の考察ブログ読んでもわからないところがあったし、ジャニーズワールドを見て13月ってなんだよって大笑いしてた。でもそんなトンチキ演出が意外と好きだったのかもしれません。腹筋太鼓もマジでなんのためにやってんのかわかりません。てかあれ、音楽の日で先輩たち見守ってたけど、先輩たちも絶対わかってないよね?でもまぁそれがジャニーズなんですよね、ジャニー喜多川なんですよね、きっと。


87年の人生の中、私がヒロムの創る世界に迷い込んだ12年、あなたのことを好きになることはなかったけど、でもヒロムがつくる世界が、私は大好きだった。


音楽の日、「ひらりと桜」見てくれましたか。あなたがタイから連れて来た少年が、10秒にも満たないけど、ソロパートを歌いました。こんなに、大きくなったよ。彼が苦しかった時、「おおしまのこうじでも作る?」って意味わかんないことを言ったこと、でもあの時彼を救ったのはヒロムだった。見てほしかったよ。


私の夢は今の自担がデビューする時に「ユニット名クソだせぇ〜!www」ってブログを更新することでした。叶わなかったな。どうしてくれるんだよ。



87歳、大往生だと思います。満足はしてないんだろうけど。でもさ、私の大好きな子たちが悲しむから、もうちょっと生きてくれても良かったじゃんって思うんだ。


悔しいけど、全部ヒロムのおかげだったんだな〜って思います。悔しいけどね。

ジャニーズ事務所を創ってくれてありがとう。出会わせてくれてありがとう。夢をくれてありがとう。


私はジャニーズが大好きだ!!!